研究内容

病理学は病気の原因とメカニズムを解明しその本態を追究する学問です.基礎医学に属しますが,臨床との架け橋の役割も担っています.病理学は長年にわたり主に形態学的な手法を用いた研究により発展してきましたが,現在,生化学,分子生物学,細胞生物学など様々な手法を取り入れて疾患のメカニズム解明を目指すことが一般的になりつつあります.

当教室では,日々の病理診断に加え,主にがんの研究に取り組んでいます.現在がんは日本人の死因第一位ですが,その克服のためには専門的・学際的な研究とその成果の活用が重要です.私達は細胞のがん化,悪性化の分子機構やがん幹細胞の生物像,組織微小環境因子や腫瘍血管など間質との相互作用の視点から,がんの病態解明を目指しています.がんの生物像は他の疾患や個体発生などの生物像と共通した点が沢山あるため,がん研究は骨や口腔組織などの様々な組織における炎症や慢性疾患,代謝疾患,組織再生に関する研究にもつながります.また,私達は基礎研究の成果を新しい診断・治療法に応用することを目指しており,臨床検体を用いた橋渡し研究(トランスレーショナルリサーチ)も行っております.

科学の進歩は目覚ましく,今の学生の皆さんが覚えなくてはならないことは沢山あります.知識を増やすことは重要です.しかし,研究者,臨床医として活躍するためにはいかに多くのことを知っているかということよりも,むしろ,どのような疑問を持つか,それについてどう考えるのか,また身近な問題にどのように対処するのか,といったことがより重要になると思います.単に疾患名を覚えるのではなく,その成り立ちを理解し病気を治すために何ができるのかを学生の皆さんと一緒に考えたいと思います.

現在教室で行われている研究概要は

  1. 腫瘍血管内皮細胞の異常性解明と治療法開発
  2. がん微小環境とがん悪性化のメカニズムの解明
  3. 幹細胞様血管内皮細胞
  4. 血管再生
  5. RNAと細胞がん化との関連
  6. 腫瘍溶解ウイルスの開発とその応用です (詳細は教室のホームページをご参照ください)

教室には歯学部の大学院生のみならず,医学部や他学部の出身の学部生・大学院生,留学生が在籍し,日々アクティブに研究を行い,学んでいます.皆様の来訪を歓迎しますので,いつでも教室に立ち寄ってください.

研究背景

1.血管について

血管は全身に広く分布し,組織に血液や酸素,栄養素などを運ぶだけではなく,組織の発生過程・臓器形成・維持や様々な疾患の発症や進行にも多彩な役割を果たしています.例えば日本人の死因第2位,4位(2012年)を占める心疾患と脳血管障害の多くは血管の病変に起因し,また,日本人の死因第1位であり,今や国民の3人に1人が発症するがんの進展にも血管は重要な役割を果たしています.

血管の構造は内腔を一層におおう内皮細胞と,それを外側から取り巻き血管構造の支持や収縮・弛緩を行う壁細胞(毛細血管においてはペリサイト,動静脈においては平滑筋細胞)の2種類の細胞からなります.既存の血管から内皮細胞が刺激に応じて新たな管腔形成がおこることを血管新生 (angiogenesis) といいます.このとき既存の血管から発芽する内皮細胞は,先端の遊走能が高いtip 細胞に先導され,あとに続くstalk細胞さらにはphalanx細胞により元の血管と接続されます.血管は内皮細胞だけで形成されている状態では不安定で周囲に壁細胞とよばれる血管平滑筋やペリサイトの裏打ちができて成熟化し,大中小の径が異なる血管によって階層ができます.

2.腫瘍血管新生について

成体でおこる血管新生は,がんや創傷治癒の際など虚血に陥った組織において低酸素や血管内皮増殖因子 (vascular endothelial growth factor: VEGF) などいくつかの血管内皮の増殖を刺激する因子(血管新生促進因子)により誘導されます.

成体における病的な血管新生のうち,最も重要なもののひとつに腫瘍血管新生(Tumor angiogenesis)があります.がん細胞は自らの増殖に必要な酸素・栄養の供給を得るために血管新生因子を放出し,血管新生を盛んに誘導します.このようにして新たに形成された腫瘍血管はがんの進展や転移に非常に重要です.

低酸素やがん遺伝子の活性化や腫瘍抑制遺伝子の変異によってもVEGFの発現は亢進します.また血管新生促進因子にはVEGFのほか,basic fibroblast growth factor (bFGF), angiopoietins, hepatocyte growth factor (HGF), EGF, placental-derived growth factor (PlGF) などもあり, がんではこのような血管新生因子が過剰になっています.さらにがん微小環境内では内因性の血管新生阻害因子,トロンボスポンジン−1 (thrombospoidins-1:TSP-1) やネガティブ制御因子として VasohibinやDown syndrome critical region-1 (DSCR-1) なども分泌されています.さらに,腫瘍血管が分布しているがん間質には様々な細胞が多数浸潤していますが,これらの間質細胞も血管新生促進因子を産生し,腫瘍血管新生を助長します.このように,がんの血管新生は複数の血管新生促進因子と血管新生阻害因子のバランスによって制御され複雑なメカニズムでおこっていることがわかってきました .

3.血管新生阻害療法について

血管新生阻害療法は,がんを養う血管を標的としがんを兵糧攻めにしようという新しいがんの治療法で,1971年,小児外科医であったFolkman博士によって初めて提唱されました.彼は「すべてのがん細胞は血管新生に依存しているので,血管新生を阻害すればがん組織を縮小,死滅させることができるのではないか.さらに血管内皮は正常細胞であり遺伝学的に安定で,がん細胞のように薬剤抵抗性を獲得することはないので治療標的として適している.」と考えました.このような概念から生まれた血管新生阻害剤のなかでも最も有名な血管新生阻害剤:ベバシツマブは,腫瘍および間質細胞から分泌され血管新生を誘導するVEGFのシグナルを遮断する,ヒトVEGF (Vascular Endothelial cell Growth Factor) の中和抗体です.他にもソラフェニブ,スニチニブといったVEGFの受容体VEGF receptor (VEGFR) を標的とした様々なtyrosine kinase inhibitorが開発され臨床応用され,多くのがん患者の予後を改善しています.現在,血管新生阻害剤は血管新生を抑え,栄養や酸素の供給路を絶って「がんを兵糧攻め」にするといった目的のほか,過剰なVEGF刺激により脆弱でもれやすい腫瘍血管の構造を改善し,抗がん剤などの薬剤が送達されやすいようにするといった「腫瘍血管の正常化」という目的にも使用されています.

4.正常血管と腫瘍血管の構造の違い

前述のように,現存の血管新生阻害剤はがん治療において重要な役割を担っています.しかしこの治療法にもいくつかの問題点が指摘されています.そのひとつに,高血圧や血栓症,消化管穿孔といった副作用の報告があります.これらの血管新生阻害剤の多くは正常血管内皮の生存,維持に必須であるVEGFシグナルを遮断するため,正常血管に対する傷害からおこる副作用だと考えられています.

一方,血管新生阻害療法の標的である腫瘍血管は,正常血管と比較し病理組織学的に多くの点で異なることが知られています.例えば,腫瘍血管においては血管内皮細胞同士の接着が疎であり,血管の壁細胞と血管内皮細胞との接着が疎であるため血管の透過性が亢進していること,血管の基底膜の構造も異常であることが知られています.これら異常な血管構造は,腫瘍血管の乱雑で不規則な走行,さらに血流のよどみなどを引き起こします.そのため,がん組織では血管が豊富であるにもかかわらず血流が少なく,がんのさらなる悪性化や薬剤耐性などの原因となる低酸素状態が誘導されることが知られています.

私達の研究内容

腫瘍血管内皮細胞の異常性の発見

腫瘍血管新生研究がはじまった当初は,がんの血管が正常の血管と異なるとは考えられていませんでした.上述のように血管の構造の違いから,血管内皮細胞にも違いがあるのではないかと考えられはじめましたが,2000年過ぎまで腫瘍血管内皮細胞の生物像は未知のままで,血管研究には分離培養の比較的平易な臍帯静脈や皮膚毛細血管などから分離された正常血管内皮細胞 (Normal endothelial cell: NEC) が広く用いられてきました.

しかし、がんの血管は正常組織の血管とは大きく異なる環境に存在しています.私たちは世界に先駆けて「がんの血管を構成する血管内皮細胞」:腫瘍血管内皮細胞 (Tumor endothelial cell: TEC) の分離培養をおこない,研究を進めてきました.正常血管内皮細胞 (Normal endothelial cell: NEC) と異なる腫瘍血管内皮細胞の特性や標的分子を同定することができれば,正常血管を傷害することなくがんの血管のみを攻撃する新しい血管新生阻害剤を開発することができると考えています.

私たちはこれまで,腫瘍血管内皮細胞の異常性について研究を行い,多くの知見を得ています.

現在,具体的には下記のプロジェクトを中心に研究を進めています.

  1. 腫瘍血管内皮の特性解明から特異的な阻害剤の開発を目指した研究
  2. 腫瘍血管内皮の多様性解明
  3. 腫瘍血管内皮が異常性を獲得するメカニズム解析(がん微小環境の観点から)
  4. がん幹細胞,がんの浸潤転移における腫瘍血管内皮細胞の機能解析

1.腫瘍血管内皮の特性解明から特異的な阻害剤の開発を目指した研究

これまでわれわれは腫瘍血管内皮細胞が正常血管内皮細胞と様々な点で異なることを見出してきました.例えば腫瘍血管内皮細胞は遺伝子発現が異なること,血管新生能が亢進していること (Matsuda, Biochem Biophys Res Commun 2010) を報告してきました.さらにがん間質における当時の概念に反し,腫瘍血管内皮細胞に染色体異常があることを初めて示しました (Hida, Cancer Res 2004 ハイライト・表紙に選出).その後,マウスのみならずヒトにおいてもそのような異常があることを示しました (Akino, Am J Pathol 2009).さらに解析を進めていくと,腫瘍血管内皮細胞においてはSca-1, CD90などの幹細胞マーカーの発現が高く,骨分化能があること (Ohga, Am J Pathol 2012) などもわかってきました.さらに腫瘍血管内皮はトランスポーターの発現が高く薬剤耐性を獲得している (Akiyama, Am J Pathol 2012) ことなども見出しました.このような腫瘍血管における正常との違いを明らかにすることで,腫瘍血管に特異的な薬剤を開発したいと考えています(下図).これまで,分離した腫瘍血管内皮細胞と正常血管内皮細胞を用いてその遺伝子発現を比較し,腫瘍血管内皮において有意に発現が高いものでかつ,腫瘍血管内皮の機能(高い生存能や、遊走能など)に関与しているものを絞り込みました.これらの分子はマウスの腫瘍だけではなく,ヒトのがんにおいても発現が亢進しており,新しい血管新生阻害療法の標的として有望と考えています.これまで腫瘍血管内皮において発現が亢進している分子,Biglycan (Yamamoto, Birt J Cancer 2012), Ptgir (Osawa, Cancer Sci 2012), COX-2 (Muraki, Int J Cancer 2012), CXCR7 (Maichi, Pathol Int 2012), Ptgfr (Akiyama , Pathol Int 2013), Lox (Osawa, Brit J Cancer 2013) について解析を行いました.現在,その他新規分子については実用化を目指して研究を行っています.特に,薬学研究院・原島秀吉教授が率いる未来創剤研究室(http://www.pharm.hokudai.ac.jp/mirai/)が開発したDDS (ドラッグデリバリーシステム:MEND)を用いて,腫瘍血管を標的とする核酸医薬の実用化を目指した共同研究も行っています (Sakurai, J Control Release, Kibria, Biomaterials 2013 など9編の共著論文) .

さらに腫瘍血管内皮マーカーのうち分泌タンパクは診断薬としても応用可能であり,現在がん患者さんの血液を用いてその有用性を解析中です.

2.腫瘍血管内皮の多様性解明

がんの性質は,がん細胞の遺伝子異常のみで決定されるのではなく,現在ではがん細胞のおかれた微小環境や間質細胞との相互作用の影響によっても制御されていると考えられています.私たちは,がん微小環境に関する研究を行い,腫瘍血管内皮細胞の異常性獲得機序についても解析を進めています.特にがんの悪性度の違いによって腫瘍血管内皮細胞の性質(血管新生能や遺伝子発現,染色体異常の程度,薬剤耐性)にも違いがあることを明らかにし,がん微小環境の違いが腫瘍血管内皮に多様性をもたらしている可能性を示しました (Ohga, Am J  Pathol 2012, ハイライトに選出).これらの知見は転移能が高い腫瘍と低い腫瘍における血管内皮細胞の違いでしたが,現在,がんの浸潤や転移との関係やがん幹細胞のニッチを形成している血管内皮細胞,さらに幹細胞性をもつ腫瘍血管内皮細胞の特性を探ることで,腫瘍血管内皮細胞の多様性に迫る研究を行っています.そのことにより,がんの進展に伴う血管新生,さらに内皮細胞の形質の変化などを解明することができ,将来的には血管新生の程度や状態を把握し薬剤の選択,患者の選択をおこなう個別化血管新生阻害療法の実現を目指しています.

3.腫瘍血管内皮が異常性を獲得するメカニズム解析(がん微小環境の観点から)

腫瘍血管内皮細胞の異常のメカニズムとして,現在(1)がん細胞の血管内皮への脱分化,異分化,がん細胞との細胞融合,(2)がん微小環境内因子(低酸素環境,がん細胞由来液性因子)によるものなどが考えられています.(1)に関してはすでにいくつかの報告がありますが,未だ不明な点が多い状況です.私達は(2)のメカニズムを視野に研究を進めています.これまで自分達の研究から,がん細胞由来液性因子により血管内皮細胞の薬剤耐性が誘導されること (Akiyama, Am J Pathol 2012) や,がん細胞由来エクソソームを血管内皮が取り込むことが腫瘍血管内皮細胞の高い血管新生能に関与していること (Kawamoto, Plos One 2012) を報告してきました.また,低酸素環境も血管内皮細胞にROSを誘導し腫瘍血管内皮細胞の染色体異常の原因になっていることも示唆されました (Kondoh, Plos One 2013).現在さらに腫瘍血管内皮細胞の異常性獲得に関わる腫瘍由来エクソソーム中のmiRNAなどの関与についての基礎研究を行っています.また,現在腫瘍血管内皮細胞の少なくとも一部の特性は培養経過においても維持されていることがわかっており,腫瘍血管内皮特異分子の発現制御にエピジェネティックな機構が関与している可能性についても研究を行っています.

4.がん幹細胞、がんの浸潤転移における腫瘍血管内皮細胞の機能解析

腫瘍血管は,がん組織を養うばかりではなく,がん幹細胞のニッチ(住みか)を形成していることや,がんの転移にも重要な役割を担っていることがわかってきています.がん微小環境内で異常性を獲得した腫瘍血管内皮細胞が,がんの浸潤転移やがん幹細胞のニッチ形成に関与する分子メカニズムに関しても解析を進めています.

さらに,血管新生・阻害に関する研究を進めていく過程で見つけ出しつつある,血管新生関連分子にも着目しています.将来,さまざまな疾患の血管再生・組織再生にも応用が期待されると思われます.